塩について



 近年、百貨店やスーパー等で色々な塩を見かけるようになってきました。それぞれに特徴があり、海外からの輸入塩も手に入れやすくなっています。飲食店でも塩にこだわり、独自の味を追求しているようです。

 1997年に塩専売法が廃止されて以来、民間業者が自由に活動できるようになったため、昔ながらの製法で作られる天然塩が数多く出回るようになったのです。古代において、塩は大変貴重なものでした。古代ローマでは、兵士の給料は塩で支払われていたとか。塩を意味するサルがサラリーの語源だそうです。

 『敵に塩を送る』の元になった「義塩」を生んだ塩の道。糸魚川から松本まで のおよそ120キロに及ぶ千国街道は、塩の道と呼ばれています。

 戦国時代に上杉謙信は、この険しい山道を経て仇敵の武田信玄に塩を送りました。『争うべきは弓箭(ゆみや)にあり、米・塩にあらず』として、塩不足に苦しんでいた甲斐の民に塩を送ったのでした。甲斐をはじめとした山国 にとって、塩の確保は死活問題でもありました。

 宮城県には、製塩の神様をお祀りした『塩竈神社』があります。御祭神は塩土 老翁神(しおつちのおじのかみ)で、日本各地に塩作りを広めてこの地にまでこられた神様です。地元では『しおがみさん』と呼ばれており、塩土老翁神が製塩に用いたとされる4つの大塩釜が奉安されています。塩釜の地名は、この大塩釜が由来となっています。

 毎年7月に行われる藻塩焼(もしおやき)の神事では、ホンダワラと呼ばれる海藻に海水をかけて煮詰めて塩を作るという、古代の製塩法が今に伝えられています。塩そのものの神様というより、それを作る神様さまであるところが、古代での製塩の難しさを表しているのかもしれません。四方を海に囲まれた島国とはいえ、高温多湿な気候では塩を乾燥させるにはけしてよい条件ではなかったはずです。

 神社において、塩は必ずご神前にお供えされます。家庭でも神棚には酒・米・水とともに塩がお供えされていると思います。古来より大変貴重で大切なものゆえに、神様にお供えするのです。

 さらに、神道においての塩は『お祓い』という意味を持ちます。古来より塩は、神秘的で聖なる物として捉えられていました。そこには厄を祓い清める力があるとされ、家の祓いや土地や諸々の祓いに用いられてきました。地鎮祭で土地の四方に塩をまいたり、木の伐採や井戸埋め・家屋の解体時等で塩をまいた経験のある方も多いのではないでしょうか。

 料亭や飲食店などの入り口でよく見かける盛塩には、また違った意味があるよ うです。この起源は、古代中国にあります。秦の始皇帝は3000人もの美女を囲っていて、夜毎美女の元へ通っていました。しかしこの人数では、1度自分の元へおいでになった皇帝が、次にこられるのは数年後。そこで何とか皇帝が乗られる牛車を自分の部屋の入り口に止めさせる方法はないかと、一人の美女が考え付いたのが盛り塩でした。牛が潮をこの婿とを知っていて、入り口前に塩を盛ると、思ったとおりいつもいつも牛車は止まり、自然と皇帝は彼女の元へ通いつめる事となり、その美女は皇帝の寵愛を受けたのでした。

 日本でも、奈良時代や平安時代に、人々は入り口に塩を盛っていたようです。 やはり牛の好物であるため、家の前を通りかかった牛車は必ず入り口で止まり舐めることに。そのため、牛車に乗る身分の高い御方も家に立ち寄るということで、縁起が良いとされたようです。このように盛り塩は客を招く・福を招くアイテムとして現在まで伝わっているようです。また盛り塩には『清め塩』の呼び名があるように、その場を清める用い方もあり、家の玄関やトイレ、水回りなどに盛り塩をします。以前、雑誌等でも何度も取り上げられていましたから、すでに実行されている方も多いことでしょう。

 このように、われわれが普段何気なく使っている塩には、調味料としての機能 だけではなく、さまざまな側面があることに気づかされます。神棚のお塩を取り替え るとき、店先の盛り塩を発見したときなど、塩についてちょっとでも関心を持ってみるのも楽しいものです。




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