安産・子育ての女神 神功皇后(じんぐうこうごう)


 赤羽八幡神社には、3柱の御祭神が御祀りされています。第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・そのお后の神功皇后(じんぐうこうごう)・おふたりのお子で、第15代応神天皇(おうじんてんのう)です。

 これら3柱神様を総称して、八幡大神と呼ばれていますが、中でも第15代応神天皇の母である『神功皇后』は、古事記では「オキナガタラシヒメ命」と呼ばれ、鎌倉時代には「聖母大菩薩」とも呼ばれる母子神・女神で、その神話伝承では華麗な活躍を見せた、まさに女性のための心強い女神です。


神功皇后とは

 神功皇后は、夫である仲哀天皇がクマソ討伐後の西暦200年2月に急死した後、住吉大神の神託により、すでに臨月でありながらも玄界灘を渡って朝鮮半島に出兵し、新羅の国を攻め、その勢いで戦わずして新羅を降伏させ、さらに高句麗・百済をを支配下におさめて、帰国後に御子を出産しました。それが後の応神天皇です。

 その後大和に戻った神功皇后は、応神天皇を皇太子に立て、日本書紀によれば201年から269年までの長きにわたり、天皇不在のまま政事を執り行いました。


安産・子育て信仰 岩田帯の起源

 神功皇后は、臨月でありながらも見事に新羅遠征を果たし、帰国後無事に出産されたことで、安産・子育ての女神として篤く信仰されていますが、その異常出産を物語る伝承こそ、神功皇后の聖母神格を形作っています。

 古事記では「仲哀記」、日本書紀では「神功皇后紀」の中で、その出産には「鎮懐石伝承」が伝えられています。

 それによれば、新羅遠征の途中で突如産気づいた神功皇后は、腰に美しい卵形の石2個を巻きつけてお腹を冷やし、出産を15ヵ月まで遅らせたと伝えられています。

 この石は鎮懐石(ちんかいせき)と呼ばれ、「事を終えて無事出産するように」と祈念が込められた石でした。

 そして、このとき「鎮懐石」をはさんだ帯が『岩田帯』の起源です。 岩田帯は、胎児を保護する意味と、胎児の霊魂を安定させる呪術的な意味合いとがあり、この岩田帯を最初にお巻きになったのが、神功皇后なのです。

 このように、出産を十五ヶ月まで遅らせながらも無事に後の応神天皇をご出産されたことから、神功皇后は『安産・子育ての女神』として、多くの妊婦の方々やママさん達から、絶大な信仰をあつめているのです。 




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