疱瘡神(ほうそうがみ)


 
新型インフルエンザの流行

 
このコラムを書いている5月26日現在、新型の豚インフルエンザの全世界の感染者がとうとう1万数千人を超えてしまいました。そして日本でも、神戸・大阪など関西地
方を中心に、多くの人々に感染し始めています。

 これにより休校、修学旅行の延期、イベントの中止なども続々と発表され、このまま感染者が増加し続ければ、社会機能のマヒも心配され始めています。

 ワクチンの開発にも少なくとも半年程度かかると言われる中、私たちに出来ることは、とにかく感染しないようにマスクの着用や手洗い・うがいの励行などのセルフガードしかないように思えます。



 疱瘡(ほうそう)

 
考えてみれば、我々人類は昔から未知なるウイルスと戦ってきました。パンデミックとして有名なのはスペイン風邪です。第一次世界大戦中に流行し、全世界で感染者6億人・死者5000万人とされ、このインフルエンザが戦争の終結を早めたとも言われています。

 感染症といえば、つい30年程前まで最も恐れられていたのが天然痘です。天然痘は疱瘡(ほうそう)と言われ、その歴史は大変古く、エジプトのラムセス5世のミイラにも、疱瘡の痕跡が発見されています。

 
 日本に持ち込まれたのは、大陸文化が入ってきた奈良時代ではないかと推測され、一説によれば、奈良の大仏建立のきっかけも、この疱瘡を抑える為ではないかとされています。

 疱瘡が史書に初めて登場するのは、天平7年(735)の『続日本記』と言われています。

 江戸時代に入ると、疱瘡は完全に我国に定着してしまいました。その症状は独特で、皮膚に大小の水泡が多発し、これが破れてびらん(ただれ)を形成します。



 
疱瘡神

 
人々は、疱瘡は悪神である『疱瘡神』の仕業と考えており、患者が出た家では『疱瘡神』をお祀りし、ひたすらに祈りました。治療方法がほとんどなかったこの時代、庶民は祈る以外に手がなかったのです。

 『疱瘡神』は赤い色を忌み嫌うと考えられており、赤い御幣や疱瘡絵と呼ばれる赤摺(あかずり)の錦絵を貼ったりしました。

 また村では、『疱瘡神』はきっと他の村からやってくると考えて、村のはずれに石塔を建てたり小社をお祀りするようになりました。




 
疱瘡神社

 
疱瘡神社には、疱瘡に強いとされる源為朝(みなもとのためとも)や少彦名命(すくなびこなのみこと)などが御祭神として祀られることが多いようです。

 源為朝は平安初期の武将で、保元の乱(1156)の時に後白河天皇に敗れ、八丈島に流されましたが、その八丈島では疱瘡が流行しなかったため、為朝が疱瘡を追い返したとされています。

 少彦名命は大国主命の国造りに際していっしょに協力をした神様で、常世の国(はるか彼方にある国・死者の国とも言われた)から来た小さな神様であるとされ、日本の薬の祖・医薬の神とされています。疱瘡神社は、その多くが神社の末社として境内に祀られているようです。

 赤羽八幡神社の末社にも、疱瘡神社が鎮座しています。御祭神は『少彦名命』で、赤い御幣をお供えしています。

 疱瘡が根絶された現代人にとって、特に若い世代にはあまり聞きなれない疱瘡神社ですが、世界各地で流行する鳥インフルエンザや今回の豚インフルエンザに直面する時、ウイルスの恐怖を感じるのは、江戸時代も現代も同じような気がします。

 お近くで疱瘡神社を見つけた際には、日頃の健康を感謝すると共に、感染症にかからないように気を引き締めていく為にも、ぜひお参りしてください。
  




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