神と仏
私達日本人は、何かを一心に祈るときに、ふと『神様、仏様』と口について出たり、家には神棚と仏壇が同じ空間に存在したり、この世に生まれ出て初宮詣では神社で、お葬式はお寺でというように、神様と仏様を何の不思議もなく受け入れているように見えます。
また、旅先で参拝した神社の由緒記に『八幡大菩薩』や『熊野権現』などの名が見えたり、神社の創建者が僧侶であったりと、神と仏の間には深い関係があるようです。しかし、一般の人たちにとって、神様と仏様が過去にどんな関係を持っていたのか知る人は少ないのではないでしょうか。
神仏習合
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本地垂迹説
平安時代中期になると神仏習合は更に進展し、神の名に「菩薩」や、仏は神に化身して姿を現しているという「権現」号が付けられるようになります。そしてこの思想は、日本の神々は元を正せば仏が人々を救うために仮の姿で現れたという『本地垂迹説』に成立し、この説では天照大神の本来の姿は大日如来、八幡大神は観世音菩薩というように説明されました。 |
江戸時代
江戸時代になると、国学者達が過去1000年以上にわたり、神仏が習合してきたことに疑問を持ちはじめました。これまで学問的にも技術的にも仏教に比べて影が薄くなっていた神道を、古語や古典を研究することによって宗教的に体系化しようとしました。これは復古神道と呼ばれ、国学の尊さに目覚めて廃仏思想と尊王の機運が高まり、時代はついに徳川幕府の崩壊、明治維新を迎えていきます |