香取神社

行事予定
(平成28年11月23日現在)
正月祈祷ご案内
1月中のご祈祷はお受けいたしておりません。 赤羽八幡神社でのご祈祷となります。





住所

北区赤羽西2−22−7

地図は こちらから

連絡先

03−3909−7002




         

創建時期は不明であるが、当社の朱塗りの御本殿は徳川三代将
軍家光公により、慶安3年(1650年)に上野東照宮の旧御本殿を
移築したものとされている。境内には北区内では珍しい「力石」
が奉納されている。


御祭儀

 

 元旦祭         1月1日午前11時
 初午祭         2月初午前日午後3時
 祈念祭         2月28日午後3時
 夏越の大祓      6月28日午後3時
 例大祭         9月15日前後の土日午後3時
 七五三祭        11月特定日
 新嘗祭         11月28日午後2時
 諏訪神社祭      同日
 年越の大祓      12月28日午後3時


●夏越・年越の大祓

 夏越の大祓(6月28日)は上半期の、年越の大祓(12月28日)は下半期の「ツミ・ケガレ」をお祓いによって取り去る神事です。
 両日とも午前9時より午後3時まで、「形代」の受付をいたしますので神社にお越し下さい。
 なお、当日は「大祓のお札」を授与いたしております。

 


●七五三祭

 11月の日曜(特定2日間)に、七五三祭を行なっています。お子様の年齢は通常は数え年ですが、満年齢でも行なう方が多いようです。
 当日は「お札・お守」の他に絵馬が授与され、お子様自身でお書きになれます。
 お車でお越しの方も、神社総代がご案内しますので、ご安心下さい。

※諏訪神社祭

 この諏訪神社は、昔は静勝寺裏の亀が池の東に御鎮座していましたが、明治42年9月、香取神社に合祀されました。


経津主大神(ふつぬしのおおかみ)



 香取神社の御祭神は、経津主大神です。日本書紀によれば、『伊弉諾尊(いざなぎのみこと)』が軻遇突智(かぐつち)を十握剣(とつかのつるぎ)で惨殺したとき、剣からしたたり落ちた血液が天安河原にある五百箇磐石となった。経津主大神はその岩の御子神である』とされています。「フツヌシ」の神名は刀剣の威力を象徴する神であることを示しています。
 経津主大神の活躍は、国譲り神話の中に見ることが出来ます。高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定に遣わすのは誰が良いかを相談していたとき、推薦されたのが経津主大神でした。
 ところがそこに、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が自分から志願してきた為、経津主大神と武甕槌大神の2神が出雲国に天降り、大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神の別名)とその御子神の事代主神(ことしろぬしのかみ)と交渉して、葦原中国の平定を成し遂げました。
 このように、経津主大神は武神として崇敬篤く、香取神宮をはじめ、春日大社・鹽竈神社でも祀られ、国家鎮護・交通安全・縁結びの神としても信仰されています。 


香取神社の伝説



 『稲付村は、3代将軍徳川家光の正保4年より上野東叡山寛永寺の所領となり、其の後或る夜の夢枕により、上野東照宮の内陣を請ふて其のまま移したために他に比類なき総朱塗りの神殿を現存す』
 この神社由緒記に以下の伝説が続きます。
 『将軍様に戴いた御内陣は上野から担いできたのです。街道の邪魔な木は伐り払い、出ている軒は壊して通り大変な御威光でした』

 寛永4年に、藤堂高虎により上野東照宮が造営され、その後将軍家光公が日光東照宮に比すべき建物にと慶安4年に、現在の上野東照宮を改築し、改築前の御本殿は香取神社に移築されたと言う伝説が、現在も受け継がれています。その伝説の御本殿が、現在の香取神社御本殿です。
 では、なぜ上野東照宮の御本殿が香取神社に移築されたのでしょうか。
 その答えは推測になりますが、稲付村が東叡山御神領であったことや、香取神社の隣地の法眞寺の開基と寛永寺山主との深い関係などがあげられます。もしも伝説が本当ならば、上野東照宮の改築日が慶安3年6月である為御本殿が香取神社に移築されたのも、慶安3年6月であったと考えられます。


力石

 

 江戸時代から昭和初期にかけて、全国各地で「力石」を用いた力比べが行なわれていました。ほとんどの労力を人力に頼っていた昔は、力比べは数少ない娯楽の役割も果たしていました。現在では労働も機械化され、「力石」の存在も忘れ去られようとしています。
 香取神社にはその「力石」が7つ残されており、その中のひとつには「さし石」と刻まれています。
 江戸時代後期〜明治時代にかけて、稲付村では春の彼岸が過ぎる頃、少しの間農作業に暇が出来ましたので、村の鎮守の香取神社の境内に、村内の力自慢の若者たちが集まり、石の「差し上げ」をして力比べをしたといいます。
 7つある力石のうち、5つの石に重さが刻まれており、重たいものでは50貫目(206キロ程度)もあります。
 力石は、鎮守の祭礼などでこれを持ち上げて、神意をはかるための石占いに用いられ、後には若者たちの力比べをする為の用具ともなっていきました。この力石は往時の稲付村の風俗・習慣を示す貴重な文化財です。なお、北区内には12個の「力石」が確認されています。




一つ前のページに戻る

TOPへ戻る