日光御成道について


 八雲神社が鎮座する北区岩淵町は、江戸時代に徳川将軍が家康公を葬る日光へ社参するときに通る「日光御成道」の第一宿場として栄えました。徳川将軍は、一般に知られている千住を通る日光街道ではなく、岩淵・川口・鳩ヶ谷・大門の4宿を経て日光街道に出る岩槻街道を使用しました。

 それは、1日目の宿泊地を岩槻城にしていたからでした。

 諸大名の行列の多くは日光街道を通行しましたが、徳川将軍は岩槻街道を通行したので、日光御成道と呼ばれたのです。

 この街道を通られて日光へ社参した回数は、全部で17回。3代家光公が10回と最多で、12代将軍家慶公が最後でした。

 岩槻街道は、主要5街道の下のランクに位置され現在の北区を通っており、戦後迄は区内のメインストリートでした。ほぼ現存するそのルートを、近隣の神社とともにご紹介します。

 江戸城を出た将軍ご一行は、本郷台に出て駒込を通り上中里村(現・上中里)へ。

 この地の鎮守は平塚明神社(現・平塚神社)で八幡太郎源義家公と御弟をお祀りしています。次に西ヶ原村(現・西ヶ原)へ。この地の鎮守は七所明神(現・七社神社)で、7柱の神々をお祀りしています。大鳥居前の一里塚(2本榎)は、2里目を示しています。

次に滝野川j村(現・滝野川)に入ります。鎮守は八幡社(現・八幡神社)で、戦前まで滝野川人参や練馬大根など野菜の種子の価格を決める会合が、社務所で開かれていました。

 いよいよ飛鳥山を通り、王子村(現・王子)に入ります。ここは古くは岸村と呼ばれていました。王子村には3代将軍家光公が社殿を造営した王子権現(現・王子神社)が鎮座します。明治時代に准勅祭社となり、8月の大祭に奉納される田楽舞は、北区の無形文化財です。

 また王子稲荷神社は、関東の稲荷総社と位置づけられ、落語の「王子の狐」の舞台でもあります。

 十条村(現・十条)を抜けて、稲附村(現・赤羽西)には香取社(現・香取神社)があります。ご本殿は上野東照宮の旧本殿を移築したものとされています。

 次に赤羽根村(現・赤羽)に入ると、赤羽山八幡社(現・赤羽八幡神社)が鎮座しています。征夷大将軍の坂上田村磨が勧請したとされ、現在は境内の地下を新幹線が通るという、全国でも珍しい立地となっています。

 そして荒川を渡る手前の岩淵宿(現・岩淵町)には、牛頭天王社(現・八雲神社)が。勝海舟によって書かれた大幟が保管されています。

 このように、日光御成道は付近には多くの神社が鎮座しています。遠く江戸時代の将軍御一行の「御成り」に思いを馳せつつ、散策とご参拝をされてはいかがでしょうか・その際には、東京都神社庁北区支部で作成した「北区神社めぐり」のパンフレットも参考にしてください。北区内の全18社が紹介されています。

 このパンフレットは、赤羽八幡神社でもお配りしています。




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