月と神様
古来より日本人には、夜空に輝く月を愛でるという慣習があります。そして『お月様』のように親しみを込めて様とつけ、月にはウサギが住んで餅つきをしていると考えたり、月になんとなくロマンチックなイメージを持っています。
古代の日本人は、全てのものに神を見たわけであり、太陽には天照大神を見たように、月にも神意を見ました。月の神様は月読命(つきよみのみこと)といいます。
古事記によると、月読命は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国からこの世に戻ったときにその体についたケガレを清めようと、筑紫の日向の小戸の阿波岐原で禊(みそぎ)をした時、右目を洗った時に生まれでた神様です。
(ちなみに左目を洗った時に生まれ出たのが天照大神・鼻を洗った時に生まれでたのが須佐之男命です)
月読命は光り輝く高天原を治める天照大神とは対照的に、夜の世界である『夜の食す国』を治めることになりました。
神の性格は、その神名に表されていますが、『月読』とは、月の満ち欠けを数えるという意味で、月齢を数えることであり、暦の元となります。当時暦は稲作を行う上で大変重要であり、月の動きを読み取って季節の変化を感じ、農作業の区切りとしていました。
また、月は太陽と違い、毎日その形が変化して見え、約29.5日周期で同じ形に戻ることから、生命の死と再生を連想させていました。さらに月の満ち欠けのリズムは自然の循環とも関連視していました。
雨が降り川から海に流れ出て蒸発して雲となり、再び雨が降る循環。その雨が大地を潤し作物を育てる大きな力となります。つまり月が水・雨・植物をも支配しているという信仰を古代の人たちは持っていました。
現在、都会ではますます夜が明るくなり、そのあわただしさからゆっくりと月を眺めることも少なくなってきましたが、たまには古代人が持っていた月への信仰を思い出して、お月様をのんびりと眺めてみるのもいいものです。